昭和四十年十二月二十一日 夜の御理解の続き
 
 頂けると云う性質なんですね。ですからそこんところが私共がいわゆる何と云うですか、はんよみの様な豊かな心の状態と云うものが頂けるおかげを頂いたらどんな事にでも喜びが頂き続けることのでけれる様なものをこの中に頂いとると云うことも云える訳です。
 今日は、あの今朝の御祈念の後に波多野さんがヤマタロウ句集、これはこの辺の何とか云うですね、川野青雲と云う俳句の先生です。そのお弟子さん達ばかりがヤマト発刊三十周年記念にこの本がでけてる。これを一冊お供えして下さった。これを見せて頂いとりましたら草野の古賀歯医者さんとかそれから亡くなられた古賀シドウさんなんか句も出てるんです。ハハアーこれは淵上先生達も確か出とるに違いないと思うて探すんですね。探してから感激が湧くから不思議ですね。私はその中にですね、何とも知れぬ、例えばこの淵上先生との通うのもがあるのじゃないでしょうか。
 その人も通うとか、只親教会の信心友達であると云うそういう様なことが神様の心に叶う様な思いで、この淵上先生の句を淵上先生の事がついとらんじゃろかと探しとる。その中にあるのじゃないかとこう思うですね。
 私がずっとこれを読ませて頂いて本当に信心も句作を作ることも同じ事だとこう思うですね。お医者さんはお医者さんらしい句を作ってある。お寺のお坊さんはお坊さんらしい句を作ってある。商売人は商売人、家庭の主婦は家庭の様々な事情の中から句がよい句がでけてきておる。
 私共信心させて頂く者はその人の生活とか又は個性とかの中から有難いものが生まれて来るのですね。
 その中に吉井の亡くなられとります、これは何と読むのでしょうか、三つの猿の郎と書いてある。これは勿論俳語でしょう。その方のを出ているのを読ませて頂いたら最後に書いてありますのがですね、朝鮮に居られた方らしいですね。朝鮮のはいらんしんこうに勤めた昭和五年六月「   」と亡くなられた、逝く年四十四歳未亡人くによ女、それからちょうし えんし二男れいぼとすずのくれると書いてある。一家俳人たりと書いてある。もう一家中あげてから俳人と書いてある。ここを読みよったらたまらんくらい感激するんですね。何辺見ても感激するんですね。一家中の者がです、もうその草木にいわゆる俳句を作ると云うことに心をひとつに合うておることだとこう思った。
 本当にお互い信心さして頂いてですね、非常に例えばここで云うな、私の信心に家族中の者がもう一切を信心でついて来てくれると云うことですね。それが私は神様の喜びでありおかげの受けられる土台であるとこう思うですね。それが私は一家中の人が亡くなられたお父さんの後を継いで奥さんも娘さんも息子さんもその草木に専念しておられると云うそこを読んだだけで感激すると云うのはです、一家中の者がそういう一つの俳句を作ると云う和に説けたところの生活を神様が喜んで下さるのだと、そして何か今日の私のイライラ焦点は家族の者は挙げて信心はしておるけれども、そこに焦点をおいていない、焦点がそれぞれに違うと云うこと。私の願いとするところの願いとしない、そこにバラバラのものがある。同じ信心はしといてもそれが今日のそしたイライラの元でもあった様に思うのです。
 信心は皆んなしとる。けれどもこの私の願いを願いとしてその信心を進めていない云うところにです、今日私のイライラがあったんではなかろうかと漠然としたことだけれどもが、例えばこの句誌を読んでそういうことに読ませて、そこを読んだだけでも感激しておるのですね。私共の心の中には本当にこれは私の神経が小さいですから、もう些細な中に気になったりイライラしたりする。その代わりに小さいことにも、例えば喜べると云う例えばよいものを頂いておる。そこで私共の心の中からこういうおかげの受けられない元に取り組んで私がこれを取り除くことに焦点を置かせて頂くと云うこと。それが私はおかげを頂く早道だとこういう事を思うですね。
 今日の私の何か知らんけれども、このイライラの元が何処にあるか分からんけれども、本当に教祖の神様の教祖吾を救えると高橋さんが言うとられますが、信心さして頂く者はどんな場合でもみ教えが私をおかげを落とさんで済む状態にしてくれる。人間ですから今日は何かバカんごとはしゃぎたい時に心が喜々とした時もある。
 かと思うと今日のように私が何か些細なことがイライラする元であると、そのイライラをですね、例えば出さんで済むおかげの頂けると云うことがです、教祖吾を救うて下さってあるんだと云うことをいよいよ思うわけです。
 そしてそういう様なものが私の心から取り除かれていく為にこれはいよいよ私を中心に家族の者が焦点を同じに焦点を進めていくところのおかげを頂いたら有難いことになるのだといった様なことを私感じたんですけどもね。どうぞ。